2021.05.14
一番上の写真は私の家のすぐ近くのバス通り沿いのソヨゴの木。
目立たない可愛い花が咲いています。
この通りは私が子供のころは原っぱでした。心はまだそこにある…そんな気もします。
元気が出ない時、すっかり大人になりすぎた私はいつもの森や林に足が向いてしまうのですが、
それでもダメなときは知らない道へ自転車で進んで行きます。
すると劇的な出会いがあったりします。劇的な、草との出会いとかなのですが。
酒井駒子の「草のオルガン」という短い話が「金曜日の砂糖ちゃん」という絵本の中にあります。
学校で寂しいことがあった男の子がいつもと違う道を通り、草はらで少しの出来事があり、また戻っていく、という短い話です。(また簡単にまとめ過ぎてしまいました)
なんとなくマリー・ホール・エッツ風なところが自分は好きなのかと思っていたのですが、
最近はっきりわかったのは、そういうことではありませんでした。
最初のページで「今日 ぼくは さみしいことがあったから」という男の子が、
次のページで「つまらないことがあったから」と言っている。
「さみしいこと」を「つまらないこと」と自分の中で客観化している。
そして、知らない道を通って帰る、という選択をする。
こどもという生き物は、喜びと悲しみと、希望と絶望と、相反するいろいろなものを小さな体の中に持っていると感じるのは、私が子供を育てたことがあるからか、自分の中に子供の部分がまだあるからなのかわかりませんが、私はこの男の子に対して、胸が締め付けられるような思いとともに、敬意のようなものを感じるのです。
そして救われるのです。
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