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2020.05.05

片隅8

少し辛い、なんて愚痴をこぼしながら、また書いています。
コロナでお客さんが来なくなって、珈琲豆が古くなるばかりなので、珈琲ゼリーを作りました。
40年前私は東京都板橋区の大山という所に短期間住んでいたことがありました。
そこの喫茶店でクラッシュしてある珈琲ゼリーを初めて食べました。
今はお洒落で美味しいスイーツがたくさんありますから、
もっと美味しい珈琲ゼリーはいくらでも食べられると思いますが、
私はこの40年間「珈琲ゼリーは大山に限る」と思って生きてきました(大袈裟)。

で、作ってみました。
実は「限る」と思っている割に、その味も姿もはっきりとは憶えていないのです。
食べてみたら「そうそう、こんな感じ」
でも、全然嬉しくない。


作らない方が良かったのかな、と思いました。

「ライオンのおやつ」という小説があって、ホスピスの話なのですが、
そこでは入院している一人一人の「最後に食べたいおやつ」を作ってくれます。
私は、この小説が嫌いです。
薄っぺらで、これを読んで「死ぬのが恐くなくなった」と本気で言う人は、本当に死に怯えたことがない人だと思いました。
それはそれとして、私が最後に食べたいおやつは何かな、と考えました。
それは祖母と一緒に摘んできたヨモギで母が作ってくれた「餅草だんご」だと思いました。
ヨモギを摘んだ原っぱはもう無くなり、祖母も亡くなり、母ももう何もできない。
二度と食べられないおやつです。

珈琲ゼリーを作ってみて、思いました。
思い出の中だけにあるほうが良いものもある。
そこに時々戻っていく道を、わざわざ自分でかき消してしまうのはもうよそう。

うん。そんなふうに思いました。




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